敷居が下がっていろんなことができることの、ポジティブな側面、ネガティブな側面

仕事の環境

スマートフォンにより様々な情報や知識が簡単に手に入るようになった。しかもタイムラグがほとんどなく、今世界で起こっていること、今日本中で起こっていること、さらには身の回りの友人・知人で起きていることもすぐに知ることができる。

今までは、世の中で起きたこと、起きようとしていること自体を知ることができず、自分自身の行動も、知っている範囲内で制限されてきた。人間だからそうなるのは致し方がない。そのようなものだ。

しかし、これだけ情報が様々な経路で入手できるようになると、今までとは明らかに行動が変わってくる。10代や20代の行動は、一昔前の同じ世代とは大きく変わってきているであろう。

世界に対する情報で保持している量が圧倒的に異なるのであるから、選択できる範囲が圧倒的に多い。今まで選択肢に入っていなかったことも自然と手を出せるようになっている。

その一方で、よく思うのであるが、一つ一つの選択肢、つまり行動の一つ一つについて、重みが異なるとも感じられる。どうしてもそれがやりたくて、自らの内側から発生する執着のような思いが今はないのである。

様々な選択肢が提示されていて、その数が多すぎで、目移りして、ひとまずより多く試してみたいという思いから、片っ端から手をつける。一つ一つの選択肢に対しての思い入れなど深めようがないであろう。まさにタイパの考え方になる。

離れたところから観察すると、様々な活動を行いアクティブかつ、物凄い人のように見えるが、一方でそこが浅い感が否めない。その背景には上記のような生活環境の違いがあるのではないだろうか。

今の世界と過去の世界、どちらが良い悪いというのではなく、そもそもの行動原理と表出する事象との関係は、上記のようなことなのではないだろうかと思うのである。

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