あなたの周りに、こんな若手はいませんか?
「この新しい技術を学ぶには、社内研修の予算がないとできません」
「この分野を深掘りしたいのですが、目標をその分下げてもらえないと時間がありません」
一見、意欲があるように見えて、なぜかその前に「投資」を求める。自分自身の能力アップや将来の顧客開拓につながる、個人的なメリットが大きい話なのに、時間やコスト、目標という壁をすぐに持ち出す。
甘えなのか、それとも言い訳なのか
これを「言い訳」だと感じるのは、きっと私だけではないでしょう。
どんな一流のコンサルタントや起業家も、目の前の仕事をこなしながら、その次のビジネスの種を並行して作っています。時間を確保するための投資がないと何もできない、という発想は、正直なところ「甘え」に聞こえてしまいます。
もちろん、起業家がVCから資金調達をして、中長期的なビジネス構築に集中するモデルはあります。しかし、それはその人のポテンシャルや、将来大きなリターンを生み出せる具体的なアイデアがあるからこそです。
まだ実績もなく、投資に値する明確なアイデアもない若手コンサルタントが、工数やコストを理由に投資を求める姿を目にすると、将来大きく化けることはないだろうと感じてしまいます。むしろ、様々な面で組織の足を引っ張る存在になる可能性すらある。
この発想は一体どこから来るのでしょうか?
世代間のギャップと見えないコスト
もちろん、社会構造の変化も背景にあるかもしれません。昔は「会社の成長=個人の成長」が当たり前でしたが、今はそうではない。若手は自分の時間や労力に対する対価を明確に求めます。
しかし、本当に優秀な人材は、たとえ目の前の仕事で一日がいっぱいでも、工夫と努力で未来への投資を自力で行っています。他者に投資を「物乞い」するようなことはしません。20代の若者でも、そのくらいの人生経験はあるはずなのに、なぜこの違いが生まれるのか。
もしかしたら、コンサルタントや起業家としての素養が、根本的に欠けているのかもしれない。彼らは業界を間違えているとすら感じてしまいます。
若手コンサルタントの「投資要求」は、組織への「一体化」と「甘え」の狭間にある
若手コンサルタントの「投資がないと何もできない」という発言は、たしかに彼らの甘さや言い訳のようにも聞こえます。しかし、それは、会社が社員の成長を「個人の努力」という名の無償労働に押し付けていることへの、静かなる抗議であると捉えることもできるのではないかとも考えられます。
彼らは、単に「投資や時間がほしい」と言っているわけではないのかもしれません。
彼らの要求は、「私はこの組織の一員として、本気で未来に貢献したい。だからこそ、組織も私の成長という未来に投資してほしい」というメッセージかもしれない。
かつて一流のコンサルタントが持っていた「組織に頼らず、最後は自分一人でも生きていく」という強い自負は、彼らには希薄であり、彼らは組織との一体感を求め、自分の未来を組織の成長と結びつけようとしているのかもしれない。
もし彼らの要求を単なる「組織の責任」と捉えるならば、それは彼らがコンサルタントとして、自分自身の未来を他人任せにしていることの証かもしれません。真に自立したプロフェッショナルは、与えられた環境で成果を出しながら、自力で次のキャリアを切り拓くものです。
コメント